
限りある命を生きる、ということ
- hoshizora2307

- 9月12日
- 読了時間: 2分
人生は、まるで美しい砂時計のようだ。
生まれた瞬間に、その砂は静かに流れ始め、二度と戻ることはない。私たちは皆、この限りある時間の中で、自分の物語を紡いでいる。この「限り」があるからこそ、人生は尊く、輝きを放つのかもしれない。
もし命が永遠だとしたら、どうだろう?
もしかすると、今日やるべきことを明日に延ばし、明日やるべきことを来年に延ばし、大切な人との時間を「いつか」と先送りにしてしまうかもしれない。永遠という名の安心感は、私たちから生きる情熱や、日々の小さな奇跡に感動する心、そして切なさを奪ってしまうかもしれない。限りあるからこそ、私たちは時間の大切さを知り、一瞬一瞬を精一杯生きようと奮い立つ。
限りある命を生きる上で、私たちが直面するのは「選択」の連続だ。どの道を歩むか、誰と時間を分かち合うか、何に情熱を注ぐか。
すべての選択は、砂時計からこぼれ落ちる一つの砂粒に過ぎない。しかし、その一つひとつの選択が、私たちの人生という名の砂山を形作っていく。時には間違った選択をして後悔することもあるだろう。でも、それでいいのだ。後悔さえも、私たちの人生を豊かにする大切な要素なのだから。
私たちは、いつか訪れる終わりを予感しながら生きている。それはときに恐ろしく、寂しいものだ。しかし、その終わりがあるからこそ、私たちは今この瞬間を愛おしく思う。空の青さ、花の香り、愛する人の笑顔、美味しい食事。当たり前だと思っていた日常が、実はかけがえのない宝物なのだと気づかされる。この有限な時間の中で、私たちは多くの出会いと別れを経験し、喜びと悲しみ、そして感謝を知る。
限りある命を精一杯生きるということは、ただ単に長生きすることではない。それは、自分の心を偽らず、本当に大切なものに気づき、それを育むことだ。自分にとっての幸せとは何かを問い続け、その答えを日々の行動で示していくこと。そして、自分の存在が誰かの心に温かい光を灯せるように、愛と感謝を惜しみなく分かち合うことだ。
人生の砂時計は、止まることなく静かに時を刻んでいる。後悔のないように、ただひたすらに前を向いて歩き続けること。そして、この一度きりの旅を、自分らしく、心豊かに生き抜くこと。それが、限りある命を生きる私たちの、何よりの使命なのかもしれない。




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